演劇書道のすゝめ
2015年 12月 09日
昔から「書は人なり」という常套句があります。
これは書(筆跡)には、書き手の人柄が表れるという意の言葉です。
という事は・・・書(筆跡)の数だけ人がいる、人の数だけ書(筆跡)があるという事です。
その筆跡の個性を生かせば、筆跡を役者に見立てて演劇ができるのではないか?
演劇の台本を題材に、必要な役者の人数分だけ書家が集まることができたら・・・
書による演劇が作れると、僕は考えました。
シェイクスピアの文学は、演劇台本とも言えるものですが・・・
その演劇を見るのと・・・文学としての台本を読むのでは、臨場感が違うと思います。
けれど、その台本を書として表現したら・・・演劇と同等の臨場感を表現できる気がします。
書家のユニットという記事でも書きましたが、一つの作品を数人で書いても良いと思います。
書がソロアーティストの芸術である時代がこれまでなら、
これからの時代はグループアーティストによる芸術へと変わってもいいと思う。
習字・書道教室を運営されている先生方でしたら、生徒さん達に勧めてみても良いと思います。
もちろん、学校の書道部でも試みても良いと思います。
書道仲間がいない僕には難しいのですが、書道の新しい表現形態としての提案です。
本当に、書道という文化は・・・深く掘り下げる部分以外に、広げられる余地があると思います。
それはそれは、沢山の可能性が!
と、この発信はここまで!
拙く長い文章ですが、読んでくれた人がいたなら感謝感激!
貴重な時間をありがとうございました。
これは書(筆跡)には、書き手の人柄が表れるという意の言葉です。
という事は・・・書(筆跡)の数だけ人がいる、人の数だけ書(筆跡)があるという事です。
その筆跡の個性を生かせば、筆跡を役者に見立てて演劇ができるのではないか?
演劇の台本を題材に、必要な役者の人数分だけ書家が集まることができたら・・・
書による演劇が作れると、僕は考えました。
シェイクスピアの文学は、演劇台本とも言えるものですが・・・
その演劇を見るのと・・・文学としての台本を読むのでは、臨場感が違うと思います。
けれど、その台本を書として表現したら・・・演劇と同等の臨場感を表現できる気がします。
書家のユニットという記事でも書きましたが、一つの作品を数人で書いても良いと思います。
書がソロアーティストの芸術である時代がこれまでなら、
これからの時代はグループアーティストによる芸術へと変わってもいいと思う。
習字・書道教室を運営されている先生方でしたら、生徒さん達に勧めてみても良いと思います。
もちろん、学校の書道部でも試みても良いと思います。
書道仲間がいない僕には難しいのですが、書道の新しい表現形態としての提案です。
本当に、書道という文化は・・・深く掘り下げる部分以外に、広げられる余地があると思います。
それはそれは、沢山の可能性が!
と、この発信はここまで!
拙く長い文章ですが、読んでくれた人がいたなら感謝感激!
貴重な時間をありがとうございました。
by sho-doit
| 2015-12-09 13:37
| 気まぐれ発信