ブログトップ

書ART実験室

shokasho.exblog.jp

<   2015年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

詩の発表 04 「とりかげ」 

お久しぶりです。ここ最近、急に季節が深まった印象ですね。
この間までは長袖のシャツでも大丈夫だったのに、もう半袖じゃないと暑くて大変です。

そういえば、太陽も高く昇るようになりましたね。

冬の間は太陽が低くて、正午でも窓から陽光が射し込んでは、部屋の壁に様々な影をつくっていました。
ベランダのフック、鳥の影、カーテンの模様・・・など。

けれど、現在は見つけることはできません。太陽が高く昇るようになり、部屋に入る陽光の角度も変わったからですね。

この詩は、そんな壁に出来た影を詠んだものです。拙い一編ですが、発表させていただきます!





「とりかげ」          作詩者:渉


白亜の壁に鳥が棲んでいまして 

それは 黒い鳥でして

目がどこにあるかも わからぬほどです

太陽が昇ればやってきて

沈むころには消えている


白亜の壁に鳥を捕まえまして

それは たまに赤い鳥でして

体のすべてが 燃え盛る炎のようでした

明星と共にあらわれて

曇りの日は隠れている


白亜の壁に鳥が棲んでいまして

それは 黒い鳥でして

それはそれは 美しい鳥でして

ときどき 僕を寂しくさせる鳥なのです





以上です。読んでくれた人がいたなら、ありがとう!







[PR]
by sho-doit | 2015-05-26 12:00 | 詩の作品 | Comments(0)

書道でもカバーソング

音楽では「カバーソング」というのがありますよね。

原曲とは別の歌手がアレンジを加えたりして歌唱した楽曲のこと・・・それが僕の印象です。
最近は「カバーする」なんて日本語になっていたりもしますよね。

そんな「カバー」が書道でもあります。

それは、他の人が詠んだ詩歌を書の作品にするという事です。あとは、古典臨書かな。

というのも、和歌も漢詩も書家自身が詠んだものではない場合は、原作者が他に存在しています。
だから、原作者が詠んだままの詩歌を「原曲」とするなら、書家がその詩歌を新しく書くときは
ある意味で「カバーソング」と言えるのではないかな・・・と思ったからです。

ましてや、最初から他の人が書いた筆跡をお手本にして書く古典臨書は当然「カバー」です。
他にも、相田みつをさんの詩のように、最初から本人の筆跡である詩を、他の書家が書いたらどうでしょうか。
これも当然「カバー」ですよね。(著作権があるから、気軽にはできないけど・・・)

あとは書道教室とかで、先生が書いたお手本を書くのも、よく考えれば「カバー」なんですよね。
実は、先生の書いてくれたお手本自体も「カバー」で、だから生徒さんが書いたのは「カバー」の「カバー」という
こともあったりします(笑)
初心者が古典臨書を初めて行うときなんかは、先生が臨書したものをお手本にする場合もありますからね。

ところで、「カバーソング」というのは、同じ楽曲、同じ歌詞なのに、歌う人の数だけ個性があるように思えます。

「あの楽曲は沢山のアーティストにカバーされたけど、あのアーティストのカバーが一番だな」

というような感想も、巷でちらほら聞こえるのではないでしょうか。

書も同じだと思います。全く同じ漢詩を書いたはずなのに、書いた人で全く印象が違うなんてことがあるくらいに。
古典臨書だって、同じ古典と同じ文を選んで書いても、熟練度に関係なく書いた人でやはり違います。

それから、カラオケも一種の「カバー」ですよね。
若者が「明日カラオケ行こう」なんて言うくらい、気軽に「明日は臨書しに行こう」なんて言う日が来ないかなぁ。


と僕が・・・ふと思ったことでした。読んでくれた人がいたなら、ありがとう!


















[PR]
by sho-doit | 2015-05-20 15:58 | 気まぐれ発信 | Comments(0)

張遷碑の臨書#1

先週の金曜日から張遷碑(ちょうせんひ)の臨書を始めました。張遷碑は隷書体で書かれた有名な古典の1つです。
礼記碑や曹全碑が横長の字形で都会的な雰囲気を帯びていますが、同じ隷書の古典であっても、張遷碑の雰囲気は少し違いますね。

字形は正方形に近く、牧歌的と言いましょうか、素朴な雰囲気があります


e0340014_12132275.jpg
上の写真は、始めてから10枚目くらいの作品です。まだ、視覚的な部分しか捉えきれていません。
曹全碑、礼記碑、乙瑛碑は何度か臨書しているのですが・・・我ながら張遷碑が未習だなんて不思議です。


例えるなら・・・
バロック音楽が好きな人が、
バッハやヘンデル、パッヘルベルは鑑賞したのに、ヴィヴァルディがまだ・・・のような感じです(笑)

ところで、この張遷碑も言葉が書いてある訳ですが・・・何と書いてあるのでしょうか。

張遷というのは人の名前です。漢の時代に県令(当時の県知事クラス)だった人で、とても有能だったそうです。
その功績をたたえる意味で建てられたのが、張遷碑という訳です。

上の写真で臨書した部分は「君諱遷字公~・・」とあるのですが、

簡単に言えば「君(県令)の本名は遷、通り名を公~と言う」です。

伝記の導入部みたいですね。

功績をたたえる碑ですから・・・特別、文章の内容が芸術的である訳ではありません。
書道における古典というのは、このような碑がとても多いです。

当時、これを書いた人は真面目に責任をもって書いたことでしょう。

僕も気を引き締めて挑まなくてはなりませんね。

十分に練習を積んだら、

またブログで公開したいと思います。お楽しみに!(おいおい、だれが楽しみにするんだ!?)

追記:6月24日に習作をUPしました。

読んでくれた人、ありがとう!






[PR]
by sho-doit | 2015-05-18 13:18 | 伝統的書道 | Comments(1)

詩の発表 03 「サムシング」

拙い一編ですが、発表します!




「サムシング」      作詩者;渉


足りないことがある

満ち足りないことがある

手の中に何かがある

空気のように見えない何かがある

不満を手放せば

我慢を手放せば

一緒に飛んで行ってしまいそうな

何かがある




           



以上です。読んでくれた人、ありがとう!

             










[PR]
by sho-doit | 2015-05-17 23:34 | 詩の作品 | Comments(0)

篆刻

e0340014_11320255.jpg
僕は書だけではなくて、篆刻もしています。

作品に捺す落款印や遊印を作るのも、立派な書道の1ジャンルです。公募展でも篆刻部門があるくらいです。
出品経験はありませんが、いつか挑戦したいと思っています。

印影は機会があれば、ブログで公開するかもしれません。



読んでくれた人がいたなら、ありがとう!


[PR]
by sho-doit | 2015-05-16 12:41 | 気まぐれ発信 | Comments(0)

詩の発表 02 「カン・コーヒー・ラプソディー」 

現代詩というか、歌詞のような雰囲気です。拙い一編ですが、読んでいただけたなら幸いです。



              「カン・コーヒー・ラプソディー」   作詩者:渉


      一息ついて 午後三時

      紅茶よりもカン・コーヒー

      アフタヌーンコーヒー 

      ラララ ラプソディー

      昨日から引きずった暗い顔

      銀色カンカラに映ってる

      何気ない君の言葉

      ガラスの心にヒビいれる

      どうか寄り添ってよ カン・コーヒー

      心の機関に火をいれろ

      カン・コーヒー 昨日からブラックだ

      カン・コーヒー デキストリンってなんだよ

      カン・コーヒー 世の中そんなに甘くない

      カン・コーヒー きっと明日も

      カン・コーヒー 今日も残業さ

      カン・コーヒー 午後九時 これからだ

      一息ついて もう三時

      紅茶よりも カン・コーヒー

      モーニングコーヒー

      ラララ ラプソディー





以上です。どうもありがとう。   








[PR]
by sho-doit | 2015-05-13 13:14 | 詩の作品 | Comments(0)

書家のユニット

そんなのあるの?というタイトルですが・・・
書道の世界では、あまりユニットとかコンビというのがありません。

団体や会派は組んだりはしますけど、書のアーティスト=1人というのが一般的だと思います。
特にユニットを組んではいけないという規則がある訳ではないのですけれど・・・不思議ですよね。

江戸時代の初め頃、
本阿弥光悦(書家)と俵屋宗達(画家)で1つの作品を作ったコラボレーションがあったぐらいなので、
考えてみれば現代までコンビとかユニットの前例が少ないのは、本当に不思議な話だと思います。

音楽の世界では、バンドがありますよね。例えば、ボーカル、ベース、ドラムス・・・なんて具合に。
二人組の音楽ユニットで、一人が作曲をして、もう一人が作詞を担当していることだってありますよね。

書家だって言葉を書くのだから、書く人と言葉を考える人で、
別々の人がユニットを組んでも良いような気がします。

数名の書家が集まって、
バンドのように各々が役割をもって、一つの作品を作る・・・そんな光景があってもいいはずです。

高校生の書道パフォーマンスは、この発想に近いかもしれません。
パフォーマンスで書かれた作品の作者は誰かと言えば、「○○高校書道部」となる訳ですが・・・
「○○高校書道部」はユニット名のようなものだと言ってもいいのではないでしょうか。

これから公募展でも、

実は三人で書いたからユニット名で応募というケースも考えなくてはいけない状況が来るのかもしれません。

まだ書道という文化には、沢山の可能性が眠っている。そんな風に思います。




ふと、思った事でした。読んでくれた人、ありがとう!


[PR]
by sho-doit | 2015-05-12 19:20 | 気まぐれ発信 | Comments(0)

詩の発表 01 「詩」

拙い一編ですが、僕の詩を発表します。






「詩」       作詩者:渉


それは 悲哀 を 吐き出すエチケット袋

それは 心の中に住んでいた微生物

それは 愛情を掬い取るスプーン

それは 君の涙が乾いていく音

それは 砂漠に落とした宝石

それは キューピット の 矢

それは ミューズ の預言

それは 言葉の化合物

それは 意識の破片

それは 幸せな朝

それは 溜め息

それは 魔法

それが 詩






以上です。どうもありがとう。


[PR]
by sho-doit | 2015-05-11 12:44 | 詩の作品 | Comments(0)

拝啓、母の日


e0340014_18064254.jpg
ブログを見たら驚くかな?「ありがとう」を言うのは自然な事ですが、こうやって筆で書くと不思議な気分です。

いつも本当にありがとう。そして、産んでくれてありがとう。



[PR]
by sho-doit | 2015-05-10 18:19 | 気まぐれ発信 | Comments(0)

書の作品を液晶ディスプレイに表装したい!

僕はこれまで、何度か公募展に出品しています。
展示して頂いた事もあるのですが、そんな自分の作品を自宅のどこかに飾って鑑賞する事はありません。

書道という文化には、自ら書くという楽しみの他に、鑑賞するという楽しみがあると思います。
しかし、考えてみると書道展に行く以外には鑑賞する機会は多くありません。
同じ若い書家の作品を目にする機会は彼らのホームページか、書道展ぐらいなものです。

僕に限らず、好きなミュージシャンのCDや、好きな映画のDVDを持っていて、
それを視聴(鑑賞)することに比べて、好きな書家、或は書道家の作品を自宅で飾り、
鑑賞している方は少数派なのではないかと思います。

大きな公募展で見掛ける様な大作は、さすがに美術館でなければ飾れません。
でも、掛け軸に仕立てた半切サイズの作品でさえ、現代の住環境では飾るのは難しいように思えます。

古い日本家屋なら、床の間がありますから掛け軸(全紙サイズまで)ぐらいなら飾れるでしょう。
しかし、最近の住環境では床の間は珍しい存在になりつつあります。
床の間が無い新築住宅は多いですし、アパートやマンションに床の間が用意されているのは稀でしょう。

掛け軸も身近に飾ったり、鑑賞するのには向かなくなりつつあるのでしょう。

「もっと書の鑑賞を身近にできればいいのになぁ」と、僕はよく考えます。
好きな音楽を気軽にスマートフォンで聴くのと同じぐらい身近なものに。

小さな作品であれば、現代のリビングや寝室にも飾れるかもしれません。
葉書サイズや、半紙サイズ、半切の1/2サイズぐらいなら額装さえすれば、良いインテリアにもなります。

少し大きい作品でも、紙を横長に使った作品ならTVの上や、廊下にある壁にかけて飾れます。
恐らくですが、家庭用のハイヴィジョン液晶TVのサイズまでなら、飾る場所には困らないかもしれません。

というより、このTVの画面を額縁にできないかと考えてしまいます。
現在はTVとPCの画面は大体同じ縦横の比率だと思いますから、TVの画面で作品を映せるなら、
PCの画面でも可能という事になります。

そうすれば、リビングで鑑賞する事ができますし、作品集をデジタル化してインターネット配信をしたり、
CDやDVDにして販売することもできるでしょう。これならば、TVかPCがあればいいので、
もっと書の作品を所有したり、鑑賞する事が身近になるかもしれません。

そうなれば、音楽の世界で言うレコーディングスタジオのように、
書の作品をデジタル化する為の撮影施設も必要になるでしょうけれど。

一つ問題があるとしたら、現在ある書道用紙の規格寸法では、
縦横の比率がTVやPCの画面におけるそれとは違いがある事です。

なのでTVとPCの画面を額縁にして、
現在の書道用紙を使った作品を映すと、どうしても隙間ができてしまいます。

TVやPCの画面サイズによっては、
作品が画面の縦幅か横幅に合わせて縮小か拡大されてしまう場合もあるでしょう。

これを解決するには、新しく適切な縦横の比率を持った紙が必要になります。
既存の規格サイズの用紙でも、トリミング加工すれば良いという声も聞こえそうですが、
書の作品を構成する重要な要素である余白というものは、書き上げる前から練られるものです。

書き終わってからトリミング加工をすれば、確かに縦横の比率を適当なものにできるかもしれませんが、
余白の調性を崩しかねません。

そういう理由から、新しい規格寸法が必要になる訳です。

どこかの紙漉き職人さんか、企業さんが作ってくれないかなぁ。自分で大きな紙を裁断するのは難しいです。
特注したら高いでしょうから、既存の規格寸法に追加してくれると嬉しいのですが・・・

そうなれば、この方法を額装や軸装に倣って、液晶ディスプレイ装と呼ぶのになぁ(笑)



ふと思った、長い長い独り言です。

読んでくれた人がいたら、ありがとう!


[PR]
by sho-doit | 2015-05-09 23:53 | 気まぐれ発信 | Comments(0)